大御所女優の1人として活躍する風吹ジュンは、いくつになってもかわいいですね。
若い頃ホステスをしていた、波乱万丈な人生で芸能活動も波乱の連続だったエピソード、かわいい画像についてまとめました。
目次
風吹ジュンは若い頃ホステスだった!波乱万丈な人生、かわいい画像
風吹ジュンは、波乱万丈な人生を歩んできました。
京都大学卒の高校教師の父と母の間に生まれ、小学校5年生の時に両親が離婚しました。中学校2年生の時に母親に育児放棄され、兄と一緒に京都に移り住むことになりました。
非常に貧しく、京都の当時の家は窓の裏が崖だったそうです。内職やアルバイトをして、高校受験前には担任の先生の家で仮住まいさせてもらっていました。
京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科を受験、一次試験に合格しますが二次試験当日に母親の再婚を知らされ、受験を放棄してしまいます。
その後、レストランなどで住み込みの仕事を始めます。
18歳で上京し、銀座の高級クラブでホステスとして働いていました。
1971年、クラブ在籍中にスカウトされ芸能界入りします。
芸名は風に吹かれたように出てきたから“風吹”、語呂がいいから“ジュン”に決まりました。
1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、その時のポスター写真が話題となりマスメディアに浮上しました。(ユニチカ株式会社は、日本の繊維メーカー)
世界的写真家のデビッド・ハミルトンに日本人で初めてのモデルとして撮影されたことで、一躍トップモデルになりました。
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1974年ユニチカマスコットガール/風吹ジュン
出典:https://www.unitika.co.jp
風吹ジュン/ユニチカ 水色の長袖
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風吹ジュン/ユニチカ オレンジ色のキャミソール
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風吹ジュン/ユニチカ ラベンダー色のワンピース
マスコットガール(キャンペーンガール)の後、グラビアアイドルとして売り出されていた風吹ジュンでしたが、
1974年に歌手デビューしました。作家の但馬オサム氏によると歌唱力は低いと評価されたようです。
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風吹ジュン/ジャケット写真
最初はグラビアアイドルとして売り出されていた風吹ジュンでしたが、
1975年に女優デビューしました。
1991年に映画『無能の人』で助演女優として4つの賞を受賞しました。
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風吹ジュン/水着
個人的には歌手ではなく、女優として活動したことが良かったのだと思います。
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風吹ジュン/若い頃
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風吹ジュン/若い頃・三ツ矢サイダー
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風吹ジュン/防護マスク?
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風吹ジュン/1978年
風吹ジュンは芸能界入りした後も波乱万丈だった
歌手デビューから4ヶ月後の9月12日夜、番組収録後に出てきた風吹ジュンがテレビ局の前で数名の男性に車で連れ去られてしまいます。
以前、所属していた事務所社員と反社会的組織の関係者がホテルで風吹ジュンを待っていました。移籍契約は無効だと言われた風吹ジュンは、とりあえず口頭で承諾しました。深夜に開放された風吹ジュンでしたが、暴力団関係者は待っていた警察に連行されました。
風吹ジュンが誘拐については否定したため、誘拐事件としては立件されず連行された関係者たちは釈放されました。しかし、その翌日に風吹ジュンが記者会見を開きました。
当時、風吹ジュンは三つの事務所と三重契約となってしまっていました。
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会見の席で風吹ジュンは
「夜から明け方までしつこく言われたんです。とにかくハンコを捺せといって、契約書みたいなものに手を取られて拇印を捺されたんです」
と事務所側のやり方が悪いと強調していましたが、後に契約の時の録音テープが公開されて風吹ジュンがわかっていて契約していたことが明るみに出てしまい清純派としてのイメージがダウンしてしまいました。
この騒動が原因でレコードの売り上げも振るわずでした。
結局はB社と契約することに落ち着きましたが、その後も週刊誌にプロフィール詐称や男性遍歴などのスキャンダルを報道されてしまいます。追い打ちをかけるように同棲していたという男性が登場し、肉○関係まで赤裸々に語りました。
風吹ジュンはそんな暴露にも負けずに手記を発表しました。
「これが私の全部です。その時その時を純粋に生きてきた。
この騒動でも私を理解してくれない人に、私は弁明をしない」
清純派から『強い女性』へとイメージが変わり、本来の姿をさらけ出しています。
清純派としての人気は完全に無くなった風吹ジュンですが、翌1975年にドラマ『寺内貫太郎一家2』、『ばあちゃんの星』、『花吹雪はしご一家』などでレギュラー出演し、女優として人気が出てきていました。
寺内貫太郎一家2では風吹ジュンさん演ずるお姉ちゃんとデュエット。#西城秀樹 pic.twitter.com/e2ouZRPp0D
— yayoi (@miuyayoi) July 5, 2018
寺内貫太郎一家2縁談が持ち込まれた美代子は19歳。風吹ジュン演じる長女の節子はまだ23歳だが先を越されたと気が気では無い。当時は適齢期はクリスマスケーキに例えられて25過ぎると売れ残り。だから本人も家族も相手探しに躍起になり周囲もそれに応えて次々に見合いを持ち込んだ。
— 寺内貫太郎一家 昭和あるある (@piec9zUQgAumFEc) January 24, 2018
ところがそのまた翌年の1976年にバラエティー番組をすっぽかして行方がわからなくなるという騒動が起きました。原因は1975年の9月に契約が切れていたはずの事務所B社と(B社は再契約したい、風吹ジュンは独立したい)揉めていたことで、風吹ジュンの弁護士は東京地裁に出演妨害禁止仮処分申請を提出していました。
B社との再契約を拒んだ理由は、B社はあくまで歌手として風吹ジュンを売り出したかったことに対し、風吹ジュンは歌の才能に限界を感じて女優としての路を歩もうとしていたことでした。
東京地裁が調停し、同年5月まで仕事を消化し、その後は風吹ジュンの芸能活動を一切妨害しないという条件で和解が成立しました。
3月には会見し、風吹ジュンは
「自分を偽る人生はもうイヤです。私はタレント活動を人間活動としてやりたかった。
これからはやりたい仕事だけをやっていく。タレント失格と言われてもかまいません」
とはっきりご自身の意見を明言しています。
1979年には男性誌でオールヌー○を披露し、映画『蘇る金狼』で主演の松田優作との衝撃の濡れ場を演じたことが大きく話題となり、女優として名をあげました。
風吹ジュンが、とても可愛く思う瞬間@蘇る金狼 pic.twitter.com/4ZKfApg6IN
— ZEN49/四畳半ゼラチン (@shovezen) September 25, 2017
今朝の続き。蘇る金狼の風吹ジュンさんと松田優作さん、めっちゃ色気ある。 pic.twitter.com/spU8n2P3SP
— Haru (@Juliesince1982) March 31, 2016
1991年の映画『無能の人』で
- 日本アカデミー賞・優秀助演女優賞
- ブルーリボン賞・助演女優賞
- 毎日映画コンクール・女優助演賞
- 報知映画賞・助演女優賞
などを受賞しています。当時はプライベートでは元夫との離婚騒動の渦中だったので本当に大変な中での受賞でした。
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本当に公私共に波乱万丈な風吹ジュンでしたが、現在は助演女優として活躍をしていますね。
風吹ジュンのプロフィール
出典:Twitter
本名 | 川添麗子(かわぞえ れいこ)(旧姓:堀川) |
生年月日 | 1952年5月12日(2021年の誕生日で69歳) |
出生地 | 富山県(現在の富山市八尾町) |
身長 | 157cm |
血液型 | B型 |
職業 | 女優、歌手、タレント |
出身校 | 京都市立花山中学校 |
所属 | パパドゥ |
代表作 | 映画『蘇る金狼』他、多数 |
女優として大先輩の樹木希林にまだ若くて世間知らずだった風吹ジュンはいろんなことを教わったようです。当時は、銀行や役所に自分で行くといった当たり前のこともちゃんとできていなくて、「ちゃんと自分でやりなさい」などと助言もしてもらったそうです。
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まとめ
- 風吹ジュンは若い頃、ホステスをしていた。そこでスカウトされ、芸能界入りした。
- 芸能界に入ってから『ユニチカマスコットガール』として風吹ジュンが撮影されたポスターが話題になり一躍有名になった。
- グラビアアイドルとして大人気だった風吹ジュンは、事務所移籍問題でトラブルになり、さらに男性遍歴まで暴露され、清純派としてのイメージは地に落ちてしまう。
- その後は自分らしく女優として活動していき、現在にいたる。
最後までご覧いただきありがとうございました。