成田悠輔と修造の父親がヤバい!麻布高校出身は同じで母親は共依存だった、壮絶な生い立ちでも楽しむ!天才肌は遺伝だった

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イェール大学の助教授として、経営者として活躍しメディアにも多数出演されている成田悠輔氏とクラウドワークスの副社長としてご活躍されている弟の修造氏。その父親がヤバい!?出身高校の麻布高等学校は同じで、母親は共依存!?父親に振り回された半生と壮絶な生い立ちでも前向きに人生を楽しんでいることや、天才肌が遺伝していることについてまとめました。

父親は文学青年で高学歴…になるはずだった

父親は、2022年で64歳です。

東京都港区にある麻布中学校・高等学校(偏差値75・76)を卒業しています。

早稲田大学には入ってすぐに退学されています。卒業されていたら、かなりの高学歴でした。

麻布の同級生から見ると、「成田だけは危険人物(何しでかすかわからない)」という評判でした。

成田悠輔氏が父親のことを、昭和の文学青年の生き残りのような人だったとインタビューで明かしています。実家にはたくさんの書籍が置いてあり、美術、歴史、ニュー・アカデミズムと呼ばれる思想系の本までありました。

マルクスの本、小林秀雄の全集、寺田寅彦の全集…などなどかなり渋めの本ばかりずらっと並んだ家でした。

 

その書籍を悠輔氏が暇な時に読んでいて、それが人生にすごく影響を与えることになりました。

父親は思想家

弟の修造氏は、父親のことを「奇人変人」「思想家」で、小林秀雄が亡くなったときには涙を流して泣いたと話していました。

学生運動にも関わっていました。出典:Twitter

頭は良かったけど社会性に欠ける(社会に馴染んでいない)ところは、父親と同じだと悠輔氏も自覚されています。

修造氏は父親のことを、プライドがすごく高くて天才肌だったと分析しています。現在の悠輔氏がやっているような方向に行っていたらうまくいっていたかもしれない、と語っていました。

出典:Twitter
成田修造氏

テレビなどの報道にしても全く信じていなかったと言います。メディアの報道を「真にうけちゃいかん」「この報道とかこう言ってることを真に受けてるお前はバカだ」などと息子に言っていました。

当時はありませんでしたが、TwitterのようなSNSがある時代で情報発信すればすごいことになっていたかもしれないと修造氏が話していました。父親の頭がいいことや高身長なことも含めて「モノは良かったが、生かしきれなかった」ということでした。

父親の職業

まだ一緒に暮らしていた当時、父親は母親の実家の仕事を手伝って働いていました。しかし、けんか別れのような形でそこでは働けないということで、ほかの会社に就職しました。

とある教育関係のベンチャー企業に就職できたのはよかったのですが、その会社が上場して本来は嬉しいことのはずですが、借金の与信がついてしまい、借りれる金額が上がってしまってまた借金が増えるという悪循環になってしまいます。

最初は一家4人でワンルームマンションに住んでいましたが、後述の失踪をする1年前に家を買っています。

失踪してその後どこかで就職している可能性は“ゼロ”だと修造氏がきっぱりと断言しています。さらに、現在の職業を想像するなら「ヒモはありえる」と明かしています。

年齢的なことを考えると、ヒモは通用しなくなってくるかも…と修造氏の考えは一理あるかもしれません。

幼少の頃は父親が遊んでくれた

悠輔氏が生まれてから4~5年は無職だった父親は、子どもたちと遊ぶことが多く特に悠輔氏とよく遊んでいたと修造氏が明かしています。

 

父親が野球が好きなのでキャッチボールをしていた記憶があると言います。父親ご自身が小学生の時にリトルリーグですごかったそうですが、中学生になると他にもライバルがたくさんいたのかピークは終わったそうです。

なんだかんだで、幼少期という人格が形成される次期に父親が家にいたことは良かったと思っていると修造氏は語っています。

悠輔氏が父親にすごく影響を受けていることも明かしています。

父親が失踪した

父親はパチンコ・麻雀・女・酒・タバコのオンパレードで借金が雪だるま式に増えていきました。典型的な感じですね…。

最低限の足腰の筋肉が無いので働けないというより、メンタルが弱すぎて上司や人から何か言われると耐えられないような人物だったと修造氏が話しています。

酒やギャンブルに溺れてしまったのは、そういった挫折からだということでした。

悠輔氏が高校三年生の時・修造氏が14歳の時に、

「新しい人生を始めたい」

と言い残して、父親が子ども2人とローン数千万円を残して蒸発してしまいました。それ以来一度も会っていないそうです。

いなくなる少し前から仕事に行かなくなり、鬱っぽくなっていたことがあったそうです。

麻布の人脈から探すと見つかった父親はマンスリーマンションにいて、母と息子たち三人で乗り込みます。すると母親が急に泣き始めて「お前それやりに来たのか!ばかやろう」「お前なんでこんなとこ来てんだバカヤロー!帰れ!」と逆ギレされて帰ることになりました。

帰りのタクシーの中で母親は号泣していました。

当時、父親には愛人もいました。出て行った明確な理由は聞かなかったそうですが、家庭というしがらみや仕事が嫌になったのではないかと修造氏は分析しています。

その後、離婚されています。

悠輔氏も修造氏も、父親のことは“探したくない”のが結論だと明かしています。

父親が亡くなったら、何らかの形で連絡はくるようになっているはずだということです。

母親は父親が大好きで共依存、天才肌は遺伝

母親は父親にべた惚れで、息子たちから見ると共依存という状態でした。

夜に母親が父親を泣きながらなじっているところを何度も目撃しています。

母親は借金を返すのも、自転車操業になってしまったりお金のことはうまくやりくりできないタイプでした。

悠輔氏も父親と同じ麻布中学・高校を卒業していますが、ちゃんとした学校に行ってほしいという母親の希望があったからそこに進学することになったと言います。借金で大変な中でも私立中学・高校に行かせるためにお金を捻出していました。

しかも元々頭がいい悠輔氏はちょっと勉強した程度で超難関の麻布中学に合格してしまうところが天才だなと思います。やはり天才肌は遺伝である可能性が高いです。

母親がくも膜下出血で倒れる

父親の失踪から2年後、母親がくも膜下出血で倒れました。3日間生死の境をさまよいました。それ以来、母親は障がい者として生活されています。

当時は修造氏は奨学金で高校を卒業し、悠輔氏はすでに大学を卒業されていました。

ごはんは修造氏が全部作っていました。当時まだ高校生なのに、3万円の生活費を入れて食費はその3万円でやりくりし、家計管理も全てしていました。当時の経験から家事が上手くなりました。

母親は歩くことができないのと、記憶が弱くなりましたが障がい者として雇用してもらっていました。

現在は修造氏の近くに住んでもらい、母親の生活費は兄弟で折半で面倒をみています。

くも膜下出血はその後、かなり回復されていて記憶も普通に戻り会話もきちんとできるようになっています。

母親は現在の息子たちがメディアに出ているのを見て、とても嬉しそうにしているそうです。

父親も高身長でイケメンだったのか

父親も身長は180cm以上ありましたが、全くイケメンではなかったと修造氏が明かしています。イケメンの定義は難しいところではありますが、修造氏ご自身も「イケメンですよね」と言われて『そうです』とはならずどちらかと言うと否定的だったので父親のこともかなり謙遜されている可能性も高いです。

修造氏が覚えている当時の父親の風貌は、「不気味でヒゲを生やしていて、哲学者っぽい雰囲気」だと明かしています。↓アリストテレスのような感じだったのでしょうか。

出典:Twitter
アリストテレス(哲学者)

イケメンかどうかは置いておいても、身長が180cm以上あるだけでもモテますのでそれプラス独特の世界観をお持ちだったようなのでさらにモテたのだと思われます。

そのあやしげな哲学者風なところは、悠輔氏に引き継がれています。悠輔氏も独特の雰囲気をお持ちです。

壮絶な生い立ちでも人生を楽しむ

修造氏が結婚されて、引っ越すことになったタイミングで母親が「銀行残高が2,000円しかない」と言ってきました。それから前述の通り、ご兄弟で生活費の折半をすることになりました。

普通ならあまりいい話としてとらえないことだと思いますが、修造氏は「めちゃくちゃ面白いと思う。こんな経験した人いないですからね」と、一度もネガティブにならなかったと明かしています。

暗くならなかったのは、「自分の力を信じていたんじゃないですか」「どうなっても、なんとかなりそうだなっていう」14歳から兄の影響で考え方も、普通の人とは違っていたことが自信につながっていたからでした。

それは大学生になってから確信に変わりました。不幸も楽しむというマインドは、なかなか真似できることではないなと思います。

悠輔氏も

「反面教師になってくれたほうが子どもは楽。親はちょっとだめなくらいがちょうどいいのではないでしょうか」

出典:日本経済新聞

と、父親とそれまでの人生を否定することもなく前向きに生きているところがとても素晴らしいです。

成田悠輔氏の嫁の記事はこちら↓

成田悠輔は結婚していて嫁がいる!仕事で韓国の映画『パラサイト』の配給担当をした一般女性、子供はいない

まとめ

  • 成田悠輔氏と修造氏の父親は、麻布中学・高校の出身で早稲田大学に入ってすぐやめた。文学青年だった。いろいろなシブい書籍が実家にはたくさん並んでいた。
  • 父親は小林秀雄を尊敬していて、亡くなると涙を流して泣くほどだった。思想家で奇人変人、プライドがすごく高くて天才肌な父親だった。
  • 息子たちが幼い頃には家にいて、息子とキャッチボールなどをして遊んでいた。
  • 母親の実家の仕事を手伝って働いていたが、けんか別れのような形で辞めてしまい、教育関係のベンチャー企業に就職する。その会社が上場すると与信が上がり、借金がふくらんでしまった。
  • 母親は父親にすごく惚れこんでいた。父親が失踪して、その2年後にくも膜下出血で母親が倒れてしまう。父親を探したくないというのが兄弟の結論。
  • その後徐々に回復して、障がい者として働いていた。現在はさらに回復されていて、普通の会話はできるようになっている。息子たちがメディアに出ているのを見て喜んでいる。
  • 弟は逆境であっても楽しむことをモットーに、兄は反面教師として前向きに自分らしい人生を歩んでいる。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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