黒柳徹子の若い頃の美人画像!結婚しなかった理由。父、母は誰?

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冠番組『徹子の部屋』でおなじみの黒柳徹子の若い頃が超美人だと言われているその画像は?ニューヨークでの着物姿をもとにバービー人形が作られた?美人なのに結婚しなかった理由とは?父親や母親はどんな人?父と母の馴れ初めについてまとめました。

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黒柳徹子の若い頃(昔)が超美人?画像

現在の黒柳徹子といえば、「玉ねぎヘアー」でおなじみですが、昔(若い頃)は、とても美人だったそうです。さっそく画像を見ていきましょう。

引用元:https://www.google.com/

黒柳徹子、女学生・セーラー服

引用元:https://twitter.com/

黒柳徹子、若い頃・キッチンにて

引用元:https://twitter.com/

黒柳徹子、若い頃・薄化粧

引用元:https://mdpr.jp/news/detail/1794160

黒柳徹子、若い頃・パーマ

いかがでしょうか?ネットには、黒柳徹子ご本人ではない画像もたくさん出てきますので、間違いなくご本人の若い頃の画像のみ記載させていただきました。現在も美しいですが、若い頃から綺麗だったんですね!

出典:Twitter

よく、こちら↑の画像が黒柳徹子の若い頃の画像として記載されていますが、こちらは黒柳徹子ではなく『ひし美ゆり子』という女優です。1967年の『ウルトラセブン』にウルトラ警備隊の“友里アンヌ隊員”として出演されていました。

出典:Twitter

アンヌ隊員/ひし美ゆり子

黒柳徹子の若い頃のNYでの着物写真をもとにバービー製作?

 

黒柳徹子に世界に一体しかない黒柳徹子モデルで振袖姿のバービーが製作され、ご本人に贈られました。

元になった写真とは?

引用元:https://twitter.com/

黒柳徹子・若い頃ニューヨークで振袖(着物)姿

さらに、どのようなバービー人形だったのでしょうか?

引用元:https://www.j-cast.com/2019/03/06352040.html

黒柳徹子にそっくりでとても綺麗な人形ですね!

今回はバービー人形のイベントということで、権利元のマテル社から黒柳さんに対し、本人をモデルにした、世界に1体しかない特注品のバービー人形が贈られた。人形制作の際にモデルとなったのは、36歳の頃の黒柳さんを写した1枚の写真。写真の中の黒柳さんは着物姿でたたずんでおり、その撮影場所はニューヨークだという。人形について黒柳さんは、「玉ねぎ頭の部分がよくできていると思います」と笑顔を見せていた。

引用元:https://www.j-cast.com/2019/03/06352040.html

36歳の写真だったんですね!もっと若く見えます。世界に1体しかないなんて家宝ですね。

黒柳徹子のプロフィール

愛称 トットちゃん、チャック
生年月日 1933年8月9日
出生地 現・東京都港区乃木坂
血液型 A型
職業 女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家
所属 吉田名保美事務所
書籍 『窓際のトットちゃん』

1981年に出版した『窓際のトットちゃん』は累計800万部を発行し、35か国で翻訳されました。日本国内で“戦後最大のベストセラー”と言われ、「トットちゃんブーム」が起きました。

同作品で、「第5回路傍の石文学賞」、ポーランドの文学賞「ヤヌシュ・コルチャック賞」などを受賞しました。

黒柳徹子が結婚しなかった理由とは?

とても美人な黒柳徹子ですが、現在も独身です。

では、なぜ結婚しなかったのでしょうか?

2017年9月放送のテレビ番組『1周回って知らない話』に出演して、過去の恋愛について話していました。

22歳~23歳の頃にはお見合いの話が何回もあったそうで、30歳くらいまでの間にいろいろな恋愛経験があったそうですが、タイミングが合わずに結婚に至らなかったようです。

『結婚はタイミング』という言葉がありますが、まさにそこがクリアできなかったのでしょうね。

過去に、外国人男性と年に1~2回しか会えない遠距離恋愛が40年間続いていましたが、その恋人が亡くなってしまい結婚する機会がなくなってしまったそうです。

「結婚するとかしないとかじゃなく、良い恋愛をしてほしい」と語った黒柳。「良い恋愛をすると、別れても、その人が死んでも、いつまでも生きていくことができる」と自身の経験を振り返った。

引用元:https://sirabee.com/2017/09/28/20161308255/

『いつまでも生きていくことができる』と言えるほどの良い恋愛をしてきたんですね。

ネットの声では、

黒柳徹子さんは一度も結婚をされていないが遠距離恋愛を40年間。相手が亡くなりタイミングをなくした。徹子さん若い子らにすぐに忘れてしまえるようなたくさんの軽い恋愛や思い出すのも嫌な恋愛よりも「(質の)良い恋愛をするべき」と。一度でもしっかり愛してしっかり愛されると寂しくないからね。

引用元:https://twitter.com/

など、共感や感動したという声があがっていました。

引用元:https://twitter.com/

↑アラン・ドロン、若い頃

 

若い頃は、モテたようでフランス人俳優のアラン・ドロンと番組で共演した時に口説かれ、食事をして一緒にダンスを踊ったそうですが、後に「タイプじゃなかった」と黒柳徹子は言っていたようです!

あの女性の憧れの“アラン・ドロン”ですよ…。ショーン・コネリーのほうがタイプみたいですね。

引用元:https://matome.naver.jp/odai/2142787902582402101/2142788518688819503

ショーン・コネリー

なんでも、あの絶妙な“ハゲ具合”が好きなんだとか…。ハゲていてもイケメンですが。

黒柳徹子の父親はどんな人だった?

黒柳徹子の父親は、黒柳守綱(くろやなぎ もりつな)という名前です。

引用元:https://ord.yahoo.co.jp/

左・黒柳守綱、右・黒柳朝

生年月日 1908年6月20日
死没 1980年4月30日(享年74歳)
出身地 東京府(現在の東京都)
学歴 東京音楽学校
職業 ヴァイオリン奏者

新交響楽団(NHK交響楽団の前身)で主席ヴァイオリン奏者をしていた。

1944年に中国戦線に出征し、1949年にシベリア抑留から帰還し東京交響楽団のコンサートマスターになりました。

黒柳徹子の母親はどんな人?

引用元:https://ord.yahoo.co.jp/

黒柳朝

名前 黒柳朝(旧姓:門山)(くろやなぎ ちょう)
愛称 チョッちゃん
生年月日 1910年9月6日
死没 2006年8月16日(享年95歳)
出生地 北海道空知郡滝川町(現・滝川市)
学歴 東京音楽学校声楽科卒業
職業 随筆家

代表作は、自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』を1982年から雑誌『主婦と生活』で連載し、1984年に『チョッちゃんが行くわよ』を出版し、ベストセラーになりました。

この作品は、NHK連続テレビ小説『チョッちゃん』としてドラマ化されました。

趣味で西洋の古美術品を収集していましたが、約600点ものコレクションを故郷の滝川市に「チョッちゃん・アンティーク・コレクション」として寄贈しました。

黒柳徹子の父親と母親の出会い・馴れ初め

妻・黒柳朝が東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科の学生だった頃、ベートーベンの『第九交響曲』の公演で共演したのがきっかけで知り合い、その後まもなく守綱が当時住んでいた住居の1階にあった喫茶店に連れ込んで夜遅くまで話し込んだあげく、「家に帰れないだろ?」と自分の家に連れ込みそのまま結婚に至りました。

夜まで話し込んだり会話が途切れなかったなんて、黒柳徹子も話し上手なところは父親譲りなのかもしれませんね。

しかも、スピード婚だったんですね。当時では珍しかったのではないでしょうか?

まとめ

  • 黒柳徹子は若い頃からとても美人だった。
  • 若い頃のニューヨークでの振袖姿の写真をもとに黒柳徹子モデルのバービー人形が贈られた。
  • 黒柳徹子が美人なのに結婚しなかった理由はタイミングが合わなかったから。また、長年お付き合いしていた恋人が亡くなってしまったから。
  • 黒柳徹子の父親はヴァイオリニストで戦争も経験して、シベリア抑留から帰還した。
  • 黒柳徹子の母親は随筆家で『チョッちゃん』シリーズが有名。
  • 父親と母親の馴れ初めは公演での共演がきっかけで、喫茶店で夜遅くまで語り合ったことから結婚に至った。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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