黒柳徹子の家族【両親】がすごい!父親・守綱と母親・朝は有名人だった!画像、出会い・馴れ初めは

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『徹子の部屋』や『トットちゃん』で有名な黒柳徹子ですが、父親・守綱さんや母親・朝さんはどんな人だったのか、有名人だったことや、出会い・馴れ初め、画像についてまとめました。

目次

黒柳徹子の父親・守綱さんはヴァイオリン奏者

黒柳徹子の父親は、黒柳守綱(くろやなぎ もりつな)さんというお名前です。

引用元:https://ord.yahoo.co.jp/

左・黒柳守綱さん、右・黒柳朝さん

旧姓 田口
生年月日 1908年6月20日
死没 1980年4月30日(享年74歳)
出身地 東京府(現在の東京都)
学歴 東京音楽学校
職業 ヴァイオリン奏者

新交響楽団(NHK交響楽団の前身)で主席ヴァイオリン奏者をしていました。

1944年に中国戦線に出征し、1949年にシベリア抑留から帰還し東京交響楽団のコンサートマスターになりました。

 

 

初代ゴジラのテーマ曲の一番目立っているヴァイオリンの音は黒柳守綱さんの演奏だと言われています。↓

 

とってもハンサムなお父さんだったんですね!黒柳徹子が美人なのも納得です!

さらに、シベリア抑留されていた当時、ご自身も抑留されながら他の方たちに音楽で癒しを与えていたことがとても素晴らしいです。

黒柳徹子の記事はこちら↓

黒柳徹子の若い頃はモテたのに結婚しなかった理由と美人画像!

 

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黒柳徹子の母親・朝さんは随筆家

引用元:https://ord.yahoo.co.jp/

黒柳朝さん

名前 黒柳朝(旧姓:門山)(くろやなぎ ちょう)
愛称 チョッちゃん
生年月日 1910年9月6日
死没 2006年8月16日(享年95歳)
出生地 北海道空知郡滝川町(現・滝川市)
学歴 東京音楽学校声楽科卒業
職業 随筆家

代表作は、自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』を1982年から雑誌『主婦と生活』で連載し、1984年に『チョッちゃんが行くわよ』を出版し、ベストセラーになりました。

出典:Twitter

この作品は、NHK連続テレビ小説『チョッちゃん』としてドラマ化されました。さらに、アニメ『チョッちゃん物語』としてアニメ化されました。

 

 

趣味で西洋の古美術品を収集していましたが、約600点ものコレクションを故郷の滝川市に「チョッちゃん・アンティーク・コレクション」として寄贈しました。

数々の名言を遺したことでも有名です。

出典:Twitter

 

 

 

「育てさせてもらった」というところに、感謝の気持ちが表れていると思います。素敵な女性ですね!

黒柳朝さんの本が、現在は市場に出回っていないようです。古本か図書館にあるものでしか読むことができないようですが、読んだ方は「面白かった」と感想を言っていたので読んでみたいです…。

 

 

電子化でもいいので、是非、再販をしていただきたいです。

黒柳徹子の父親と母親の出会い・馴れ初め

妻・黒柳朝が東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科の学生だった頃、ベートーベンの『第九交響曲』の公演で共演したのがきっかけで知り合い、その後まもなく守綱が当時住んでいた住居の1階にあった喫茶店に連れ込んで夜遅くまで話し込んだあげく、「家に帰れないだろ?」と自分の家に連れ込みそのまま結婚に至りました。

 

 

夜まで話し込んだり会話が途切れなかったなんて、黒柳徹子も話し上手なところは父親譲りなのかもしれませんね。

しかも、スピード婚だったんですね。当時では珍しかったのではないでしょうか?

守綱さんは、愛妻家だったようでこのような言葉も遺していました。

 

 

子ども達より、妻が大好きすぎた守綱さんでした!微笑ましいですね(*´з`)

黒柳徹子の家族、父と母・まとめ

  • 黒柳徹子の父親はヴァイオリニストで戦争も経験して、シベリア抑留から帰還した。
  • 黒柳徹子の母親は随筆家で『チョッちゃん』シリーズが有名。現在は黒柳朝さんの本はほとんど売られていない。ドラマ化され、アニメ化もされた。
  • 父親と母親の馴れ初めは公演での共演がきっかけで、喫茶店で夜遅くまで語り合ったことから結婚に至った。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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